魚心あれば水心

しがないドルオタの記録

宛名の書けない手紙のような独り言

長すぎる独り言を聞いて欲しい。

私は作間龍斗という美しくて仕事ができて人望が厚いくせに、いたずら好きでどこか遠くを見つめている少年の、体が成長する時期を、心が多感な時期を、目まぐるしく環境が変わる時期を、『ファン』というあまりにも無責任な立場からほんの少しだけ覗き見させてもらっていた。

自分は小さい頃からSMAPを見て育ってきたが、ジャニーズJr.のファンになるのは彼が初めてだった。
私が初めて作間くんを知ったのは何かの雑誌のスキャン画像だった。そこにはあまりにも顔の整った中学二年生の少年がいた。すっきりとした涼しげな目元に、通った鼻筋、文句を言いたそうな生意気な唇、彼の顔のパーツの冷たい印象を柔らかく包むふっくらした輪郭。どれも美しくて、その一つ一つが綺麗に並べられていて、人間の顔にこれほどまで美しいと思ったことはなかった。
この子はどんな子なんだろう?何を考えて生きているんだろう?
私は今でこそ無所時代の作間くんの仕事の姿勢が好きだと言っているが、初めは彼の顔の美しさに興味を持ったのだ。

意気揚々とジャニーズJr.情報局に入り、好きなタレント欄に『作間龍斗』と入力し、出演者名に彼の名前のない公演に応募しては全て落選していた。
彼の活動は知れば知るほど、当時の私にはよくわからないものだった。
誰かの後ろでローラースケートをしていたり、アクロバットをしていたり、キーボードを弾いていた。あんなに美しい彼が、ステージの上にいるアイドルの中では一番影に徹していた。これが無所ジュニアなんだ、と、なんとなくだけど自分に言い聞かせることで胸を落ち着かせることができた。きっとあの頃ジャニーズJr.の世界のピラミッドの中では、彼は半分くらいの位置の替えのきく存在だったのだろう。

毎日Twitterで『作間』と検索しては最新ツイートが1.2時間前、いつも同じアカウントの人しかツイートしてない状況を見ていた。それでも作間くんは無所ジュニアの中では顔が覚えられているほうで、公演が終われば誰かがレポをあげていた。けれどそのツイート主のアイコンは大体他のアイドルの画像で、プロフィールに列挙している好きなアイドルの中に作間くんの名前はないか、あったとしても一番最後に書いてあった。「作間くんが一番好き!」という人は、今とは比べ物にならないくらい少なかった。
中学2年生から中学校を卒業するまでの作間くんは、沢山身長が伸びて、顔立ちも体型もどんどん大人ぽくなっていった。声もずっと低くなった。けれどその成長を感じ取れる機会が、私にはジュニアにQしかなかった。呼ばれたときはすごく嬉しかった。毎週金曜日の放送時間は仕事をしていたけど、こっそり抜けてトイレで携帯を握りTwitterアプリを開いて「ジュニアにQ」と検索しては、その結果で残業の捗り具合が変わった。作間くんがジュニアにQに呼ばれた日は、すぐに仕事を片付けて退勤し、地下鉄の中で誰かがTwitterに載せてくれた動画を見て、帰宅してテレビでも録画を見ていた。ジュニアにQは声が聞けるだけではなく、あの掲示板との差で身長の伸び具合が分かるので、リアルタイムではないけれど、今の作間くんを感じ取るにはこれしかなかった。

作間くんは昔から人望があった。HiHiJetの猪狩くんが怪我で公演に出られない時は代役を務めた。ジャニーズアイランドでプレッシャーから舞台裏で上手と下手が分からなくなった先輩に「こっちですよ」と声をかけていた。無所属の子たちで集まってレッスンをした帰りに、同じくらいの年頃の子と話しながら帰るわけではなく、引率の先生のように小さい子たちと帰っていた。私は仲間から頼りにされている作間くんが大好きだった。作間くんのこういった素敵な面を沢山の人に知って欲しかった。この頃の私はTwitterで「誰かが作間くんのファンになるきっかけになれれば」と思って自分の作間くんに対する解釈や考え、思いをツイートしていた。
けれど、そんな作間くんが大好きな反面、心配に思うことも沢山あった。作間くんは責任感だけで動いているんじゃないかな?本当にやりたくてやっているのかな?と思うことが増えた。
しばらくして、作間くんは中学3年生の終わり頃にHiHiJetへの加入…HiHiJets結成というべきだろうか、彼は元からあったユニットに加入するという形で晴れて無所ジュニアではなくなった。無駄なことをあれこれ考えがちな私だけど、あの時は人生で一番両手放しで喜んでいた気がする。

作間くんは、これから、作間くんのために、生きられるんだ。

誰かの代わりじゃない作間くんが必要とされ、誰かを支えるだけじゃない作間くんが見られる。私はそう感じた。
彼が加入してからのハイハイ公演はクリエもサマステもチケットがご用意された。今まで一度も当たったことがなかったのに、突然チケットが当たりだしたのだから不気味だった。これが該当担優先というものか、と、今まで他人事のように見聞きしていた言葉を思い出した。

ここからはもう感情のままにめちゃくちゃに書いてやろう。
私はあんなに見たくて見たくて仕方なかった作間くんを初めて見た時、大粒の涙に遮られて最初の1曲丸々ほとんど何も見えなかった。眼球が溺れるんじゃないかというほどの涙に視界を遮られた。涙で歪んだ視界の中にいる作間くんは背が高くて厚みがあって人間だった!彼の体を華麗に滑らせるローラーの滑走音が思いのほか煩くて人間の重みを感じた!
あぁ、作間くんは生きている。呼吸のたびに喉が微かに動く。汗が首筋をつたっていく。初めて雑誌で見たときに生意気そうと感じた唇は、私が思っていたよりもずっと口角が上がっていて、かわいらしかった。
しかし、なんだろう。作間くんがいない。作間くんはそこにいるのにいない。遠慮しているんだと感じた。メンバー4人にも、観客にも、作間くんはきっと遠慮していた。
人の携帯電話を勝手に手に取りナンバーロックを適当に入力しまくり、一定時間使用できない制限をかけさせるという迷惑極まりないいたずらをしていた作間くんは、いなかった。バック紹介で一人一人カメラに抜かれたときに、前髪の横でハサミに見立てた手をチョキチョキと動かして『髪切った』と口パクで伝えてくるマイペースな作間くんは、いなかった。
シアタークリエの最前列の下手ブロックで、真正面から初めて見た大好きなアイドルの作間龍斗くんは、色の塗られていない線画のようだった。
あの後も私はHiHiJetsのライブには必ず一回は足を運んだ。けれど、いつまで経っても、作間くんはモノクロに見えた。もしかしたら、遠慮じゃないのかも知れない。「元々そういう人だった」あるいは「成長した」のだろう。私の大好きな作間くんは、ここにいて、ここにいない。
以前もこの言葉を使ったが、私は作間くんに対して過去にこういうことをしていた人だから好き、という、作間くん本体ではなく煮凝りを愛している感覚になっている。けれどその煮凝りは永遠に消えて無くなりなんてしないから、永遠に作間くんが好きなんだろう。

最近の話をしよう。
作間くんは謹慎明けに、活動を再開するというコメントを発表した。
あの言葉にも作間くんがいなかった。作間くんの文章の主人公は作間くんじゃなかった。寂しくて仕方がなかった。クリエで初めて見た作間くんが遠慮がちに感じた時よりも、謹慎が決まった時よりも、なによりも寂しいという感情に支配された。

作間くんは、作間くんのために、生きていますか?

彼が無所ジュニアじゃなくなった時に、私は、やっと作間くんが自分のために生きられると思っていた。
けれど作間くんの責任感やプレッシャーは、活動の幅が広がるにつれてどんどん大きくなり、あの頃よりも自分が主人公じゃいられなくなっている気がした。
作間くんがこれからのアイドル人生の中で作間くん自身を主人公にして生きていって欲しい。
私はまだその時を楽しみに待つことにした。